目線の向き
2017年 07月 06日
この言葉は、菅義偉(すがよしひで)官房長官が2006年、第1次安倍内閣で総務大臣になった時、大臣室を訪問した時に、にこにこ顔で、菅さんが述べられた言葉です。
「湯沢高校29期です。」と自己紹介したら、にこにこ顔で力強く握手をしてくれました。今でもよく覚えております。あのにこにこ顔、気さくな感じで、握手をされたら、皆さん入れますよ。
「確かに選挙に強いんだろうな」と思いました。今でも、湯沢高校の先輩であることを誇りに思っております。
2012年、第2次安倍内閣で内閣官房長官となり、現在在職日数が歴代1位を更新中です。
「いろいろあったんでしょう。」
今は、厳しい顔ばかりの、高圧的な目線で、記者が答えて欲しい質問に対して、「官僚的な(心がこもっていない)答弁を繰り返す。」
あの「上から目線」は、「安倍内閣が揺るぎない力を今まで持っていたから今回も。」としたことから、「危機を察知する力(目線)が消失」して、的確な判断を間違い、一気に有権者の気持ちが「政策では無い所」で流れてしまい、歴史的な敗北になったのでは、と思います。菅さんの「目線の向き」が全てを物語ります。
(ちなみに、政策が話題とならなかった「豊洲の女」と連立ポ〇都議会の行方は、いずれ「都民が(また)裏切られた」という結果になるだろうと思います。)→「とんでもない税金の無駄づかい、甚だしいことです。)
さて、「横手市政」
私は「4年前に変化を求めて、もちろんより良く横手市が発展するための変化に期待して、現市長を応援しました。」
あの時の目線は、ひたむきな、いわゆる「市民目線」だったから、有権者が「政策うんぬんというよりは、勢いをかった」んだと思います。→当たり前ですが、「政策が第1です!!」
現在、4年後の今はどうでしょう。
市長の「目線」は、「自分目線」へと変わったと感じております。
客観的な目を持ち得ない=(自分に都合の良い目)指揮官の船(組織)は、どこに進むのか、どこに向かっているのか、全く不明であるのが現状です。
合併して12年。
「今は、首長が困難な課題に対して、頭脳集団(シンクタンク)を配し、覚悟を持って、方向性を決めていかなければならない横手市です。」
自分を見る目を持つ、保つ、目線の向きを確かめることが大切な資質であっても、それがいかに困難であるのか。
しかしその目を持たない、「目線の向き」に気づけないようになったら、早晩没落するしかないのかもしれません。
九州豪雨災害で、亡くなられた方や行方不明者、被災された方々にお見舞いを申し上げます。毎年の豪雨災害、どこの地でも起こり得ます。危険個所の把握と対策、非難訓練等を行って備えなければなりません。